先日、友達の勧めで「The 1975」というバンドを聴き始めました。
興味が湧いて、ネットでいろいろ調べてたら、「ドバイのコンサートで、ボーカリストが最前列の男性客にキスして物議を醸した」という記事がありました。
何が問題かと言うと、イスラム教を基盤とするドバイでは、同性愛はタブーとのこと。
そうなのか、、なら、イスラム教の源流となったユダヤ教を基盤とするイスラエルでも当然タブーなんだろうな、と思ったら、
イスラエルが「ゲイであること」が当たり前の社会を実現できた独特の背景
と意外な結果でした。
ユダヤ教の聖書には、ある章でソドムとゴモラという街が登場します。
そこは、殺人や強盗が横行する悪の街なんですが、ゲイの人たちも悪人として描かれてしまってます。
「これはすさまじい偏見だよなあ」と思ったのを今でも覚えてます。
なので、そんな聖書を拠り所としているイスラエルが、上記のようなリベラル思想であることに驚きました。
もともと、ユダヤ教は「過酷な砂漠でいかに生き残るか」ということを重視しているように見えます。そのため、禁忌とされてるものも、生死に関わるものが多い。
例えば、豚を食べないのも、寄生虫による健康被害を防ぐためだったのでしょう。
今から2000年以上前の世界では、明かりも少なく、視界も悪かったはずです。そんな中、生焼で豚を食べてしまうリスクより、いっそのこと「豚肉を食さない」とした方が安全だったであろうことは容易に想像がつきます。
さらに、ゲイが忌み嫌われた理由も、同じく生存に関わるからだったかも。聖書の序盤で「海辺の砂の数ほど子孫を増やす」ことを定められたユダヤにとって、生殖につながらないものはサバイバルの観点から遠ざけられたのかもしれません。
このように、もし、ユダヤ教の本質が、生き残るための「合理性を極めた思想」だったとするなら、現代という価値観が多様化する世界でサバイバルするには「LGBTを許容するのがベター」という発想に至ったのも納得がいきます。

話は変わりますが、朝からずっと部屋に籠もって仕事してたので、息抜きに、夕方からビッグCへ行きました。
お菓子の山!テト需要で客も多めです。

何だろう、これ。貯金箱?

今週もあと一日、がんばります。
それでは、また。